鑑賞してからだいぶ時間が経ってしまったのですが、先日アップリンク吉祥寺にてこちらの映画を観てきました!
私が非常に気になっていた、The Beatlesのいわゆる「ドイツ修行時代」にスポットを当てたドキュメンタリー映画です。とはいっても、本人たちの映像出演はごくわずかで、メインは彼らに関わった人々の証言や1960年代初頭のドイツ・ハンブルクとリヴァプールの歓楽街の記録映像が多くなっています。当時の写真を用いてアニメーション風に演出されたThe Beatles初期メンバーの映像が時折挟まれるのですが、その部分は本人出演の再現VTRを観ているような気分です。グループの結成、ハンブルクでの修行の様子、幾多のトラブル、やがて超人気バンドとしてハンブルクに凱旋した様子までが収められています。
そもそもなぜドイツ・ハンブルクへ行ったのか?という疑問は以前のブログで多少自分なりに考察してはいましたが、やはりこういった映画を観ると理解が深まりました。
古くから栄えたハンブルクという港町が戦争で壊滅した後、世界有数の歓楽街として返り咲き、乱立するクラブでは若者ウケするミュージシャンを欲していたこと。アメリカで流行している音楽は伝わっていても、実際にハンブルクのクラブに招くことは予算や時間がかかりすぎるため、イギリスでアメリカの流行を取り入れたバンドを見繕ってスカウトするという流れが出来上がっていたこと。リバプールで見出されたまだ幼いThe Beatlesが海を渡り、大人の欲望渦巻く街で揉まれながら必死に成長していったこと。
当時のメンバーの写真の本当に「ボーイズ」としか表現できないような幼さと、記録映像で映し出される猥雑なクラブの雰囲気のあまりのギャップに、本当にこの「ボーイズ」がこの街で毎日深夜何時間も演奏していたのか?と改めて驚きました。
そしてやはり音楽と人間の業とは切っても切れない関係なんだなぁと改めて感じました。
ナチスに浄化政策を強行され(これは後日調べました)、さらに爆撃を受けて壊滅したハンブルクという街が戦後には世界に名を轟かせる歓楽街として再び息を吹き返したという歴史からは、抑圧された人間の欲が解放された時に生まれる爆発力を感じます。The Beatlesをスカウトしたのはブルーノ・コシュミダーというクラブ経営者だったそうですが、このようなやり手の猛者たちが戦後の街でいかに儲けるかと競い合っていた様子が映像からうかがい知ることができます(おそらくコシュミダーとThe Beatlesが揉めた時だと思うのですが、「二度とハンブルクで演奏できないようにしてやる」なんていう物騒なセリフが飛び出したり…)。
人やモノが集まる街には善悪も美しいものも醜悪なものもごった煮になってものすごいエネルギーが渦巻いていて、まだ少年だったThe Beatlesのメンバーに強い影響を与えたことでしょう。彼らがおそらく抱いていただろう「自分たちの音楽で一旗揚げてやる」「この街で一番になってやる」という想いがハンブルクという街で時にくすぶり、燃え上がり(後に実際に放火事件を起こしてしまうわけですが)、化学反応が起きて世紀のスーパー・グループ誕生へと繋がったのかなあと想像します。
↓こちらの写真は新宿の「ビートルズ研究所」さんが展示に協力してくださっているようです
60年代は世界的に経済も上向きだったりして、開放的な空気が満ちていたという言われ方をすることが多い時代です。しかし社会情勢にうまく乗ってチャンスを掴み(これはチャンスなんだと自分の頭に叩き込むといった方が正しいか?)、成長して世の中に出ていくことができるかどうかは自身の地力、周りの人々の協力あってのこと。異国でのライブ漬けの生活の中、クラブの冷たいステージや屋根裏部屋で寝起きしながら衣装やパフォーマンスなどに試行錯誤していた当時のエピソードは現代では考えられない過酷さでした。労働時間の長さ、アルコールやドラッグを多用していたことを匂わせる場面もあり、ただでさえいかがわしさ満載の街で未成年が深夜に働くという点で法律的にも倫理的にも今ではアウトだろうなというポイントが多数です。彼らが居たエリア(レーパーバーン周辺)は「世界で最もいかがわしい」とされ、いわゆる性風俗店も多く、暴力が法律のように街をコントロールしていた側面もあったようです。しかしその混沌の街での修行時代がなければ、私たちが知るThe Beatlesが生まれなかったというのもまた事実なんですよね。(↓当時のスター、トニー・シェリダンとそのバックバンドを務めたThe Beatles)
Embed from Getty Imagesまた、この映画は結成当初のThe Beatlesにスポットを当てているため、スチュアート・サトクリフ
とピート・ベストについても語られていました。
スチュアートの当時の恋人アストリッド・キルヒヘアが、若くして亡くなってしまった彼のエピソードを語る様子は、前半のストーリーをワクワクして観ていた観客を一気に悲痛な悲しみに突き落とします。あまりに若すぎる死でした。
そして、レコード会社側がピートを「力不足」として解雇し、ハンブルクのクラブで別のバンドメンバーとして共演していたリンゴが新たなメンバーとなったことも語られます。当時の追っかけガールたちはそれをしばらく受け入れられずに「ピート、フォーエバー、リンゴ、ネバー」と叫んだ方もいたそう(ファンの気持ちも分かるがリンゴも辛かろうと心がチクチクします)。
明るいエピソードだけではなくバンドの暗部にも触れつつ、終盤はただの少年たちだった彼らが誰もが知るあのThe Beatlesに「なっていく」様子が語られます。その瞬間を目撃したファンの証言は、未だに新鮮な驚きが目に焼き付いているという様子で私も興奮しました。
The Beatlesについてもっと知りたくて映画を観たのですが、日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国であるドイツの港町がいかにして再興したのか、そしてイギリスとドイツとアメリカがどのように音楽の影響を与え合っていたのかなども知ることができてとても得ることが多い映画でした!
撮影した写真と手元のチラシと鑑賞した方のブログやYouTubeなどを観て記憶を補完しつつ、じっくりまた脳内で楽しみたいと思います。