2025年4月19日、NHK-FMにて「クイーン来日50周年記念 クイーンと日本の半世紀」が放送されました。ちょっと時間が経ち過ぎましたが番組の感想や印象に残ったエピソードのメモを記録しておきます。
1975年4月19日、フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンの4人からなるバンド、クイーンが初の日本公演を武道館で行いました。その初来日公演からちょうど50年の日にクイーンの日本ツアーの様子、彼らを支え続けた日本のファンとの熱い関係を感じられる番組をお届けします。
番組では、クイーンの日本におけるライブ活動、そしてその裏側も詳しく知る方々、いわば”クイーン・サミット”のメンバーによって、来日ツアーの歴史をたどりながら、その時に起きた出来事を語っていただきます。さらには、 日本におけるクイーンの写真を撮り続けたカメラマン・長谷部宏氏、ロンドンのフレディ・マーキュリー邸(ガーデン・ロッジ)の造園に携わった庭師の高原竜太朗氏の貴重な証言もお届けします。
クイーン来日50周年記念 クイーンと日本の半世紀 – NHK
昨年度にディスカバーシリーズが終わってしまい寂しかったので、この番組の放送は特にうれしいものでした。
ゲストもコメント出演の方も、QUEENとのかかわりが本当に深い方ばかり。
(※50音順)
・伊丹久夫さん(フレディ・マーキュリーのボディーガード担当)
初来日時からお忍びショッピング旅までフレディからご指名を受けて同行なさったそうです。
ライブ本番は毎回ステージに背を向けているから舞台は観られないということ、日本の骨董美術品を品定めしていたエピソードをご披露くださいました。
ファンの方にはおなじみだと思いますが、「Mr.イタミ」→「イタミサン」→「イターミ」というフレディからの呼ばれ方の変遷が深まる信頼感を表していて微笑ましかったです!
・東郷かおる子さん(音楽評論家)
ミュージック・ライフ編集者そして編集長、QUEEN特集といえばこの方。
面白いのはどの番組に出ていても「私はQUEENの熱狂的ファンってわけじゃないんです」という姿勢でクールに距離感を保ってコメントなさっていることです。当時のMLは日本で売れるバンドを見つけどういう戦略で売り出すのかという重要な役割を担っていたわけですから、そういう考えを持っていなければ務まらないお仕事ですよね(とはいえ、やはり一番長く取材などで時間を割いたバンドがQUEENなので思い入れは一番強いそうです)。
確実に、日本女性がロックを聴く道筋を切り開いてくれた開拓者のひとりといえる方でしょう。
・松林天平さん(当時のワーナー・パイオニアでクイーンを担当した2代目ディレクター)
当時の邦題の付け方について解説してくださいました。
カタカナ読みが日本人に馴染まなさそうなら邦題だ!というルールで付けていたそうです。
「オペラ座の夜」については、今だったらネットで検索してすぐ分かるアルバムのネタ元も当時はすぐには分からず苦心したそうです。
「伝説のチャンピオン」を、フレディが拳を振り上げて歌う姿からボクサーを連想したというエピソードは何だか今聞いてみても納得です。
・森俊一郎さん(当時の東芝EMIでクイーンを担当した3代目ディレクター)
ジョンとロジャーのアルバム「The Works」プロモ来日同行が初QUEEN仕事だったそう。二人のディスコ通いにまで付き合わされて困惑したそうですが、MLでオフの過ごし方関連の記述を読んでいたので別な角度から知れて楽しかったです。
日英のリバーシブル国旗の発注が遅れ武道館公演に間に合わなかった、そして曲が長い「Radio Ga Ga」のラジオEditを森さんが非公式で作った(結局公式から配布されたのでそちらを使用)エピソードは初耳でした!
・吉田聡志さん(クイーン・コンシェルジュ)
初来日時は中学生で、女性ファンの熱狂ぶりが強すぎたため当時は遠慮していて、表向きはQUEENよりもレッド・ツェッペリンやディープ・パープルが最も好きというテイでファン活動をひっそりしていたそうです。
(おそらく吉田さんが)ライブバンドとしてのQUEENの素晴らしさとライブバージョンで演奏される楽曲の味わいを熱弁されていて、私も以前ライブバージョンよりスタジオ録音派だったことを思い出しました。もちろん今は「ライブバージョンこそ好き!」くらいの勢いで愛してます。
ミュージック・ライフ・クラブでQUEENに関する催しを企画して、世代を超えた普及活動にこれからもますます力を入れていくとおっしゃっていました!
・渡部潮美さん(クイーン来日時 通訳)
QUEENのファンになってから10代の頃渡英され、現地でファン活動を行ったのちに日本に帰国、なんと知人のつてで大学生の頃からQUEENのツアークルーの通訳をするようになったそうです。その経歴を認められ、82年からは本人たちの通訳をご担当するまでになったという経歴に本当に驚きました。
フレディのお買い物ツアーにイターミさんとともに渡辺さんも同行なさっていて、フレディの芸術に対する偏愛ぶりについても語られていました。当時のフレディがどのように日本文化を愛していたかを実際に見ていらっしゃるので、桂離宮や栗田美術館を訪ねた際の詳細がよく伝わってきました。
聴き手は高市佳明アナウンサーでした。
録音インタビューが流れたのはこちらのお二方。
・長谷部宏さん(カメラマン)
なんと御年94歳!QUEEN以外にも数々のレジェンドを撮影している長谷部さん、ゲストの方々が次々に「長谷部さんは少ないカット数でビシッとキメる」「ミュージシャンとの距離感が絶妙」と絶賛。ミュージシャン側からの信頼も厚いそうです。
初来日時の撮影が熱狂的女性ファンに押しつぶされてうまくいかなかったお話、「LIVE KILLERS」ジャケ写撮影時の鉄板ネタ(せっかく事前に決めたのに誰も言った通りにポーズ取らない…)をお話くださってました。
・高原竜太朗さん(庭師)
なんとフレディ邸のお庭造りに関わった方のインタビュー!
86年から87年にかけて高原さんが手掛けたのは、ガーデンロッジの英国式庭園の隣に造られた100坪ほどの日本庭園。フレディが日本で見たという瓦の色(伊丹さん&渡辺さんによると桂離宮の瓦ではないかというお話)にこだわりを見せていたお話、滝の水圧はなぜか実物の日本庭園よりもだいぶ強めを求められたというお話を聞かせてくださいました。伝統的な日本文化好き、でも譲れない派手好きが同居するフレディの美意識が垣間見えました。
ガーデンロッジを訪ねてきたモンセラート・カバリエさんと、東屋で和やかに過ごしながら日本語の曲を作ったというのは、日本文化を愛してくれたことが何よりも伝わってきて心温まるエピソードでした。
短い時間でしたが、ロジャーとブライアンのインタビューも少し流れました。
ロジャーは日本での大歓待について、「イギリス、アメリカで少し人気出たかなという頃だったので驚いたし素晴らしかった」と語っていました。また、長期ツアー(おそらく79年)で日本の地方都市をいくつも訪れた記憶がある、と金沢などの地名を具体的に出しながら振り返っていました。東名阪以外の小さな都市を訪れることによって、当時の日本のディープな文化に触れたことがユニークな体験としていい思い出になっていたのかもしれません。
リスナーの方から「まさかQUEENが山口に来るなんて!フィルムコンサートだと思った!」というメッセージが届いていて、当時の驚きと喜びの感情がダイレクトに伝わってきました。
ブライアンは、「初来日時のコンサートでファンのエネルギーが押し寄せたのを感じた時に自分たちがひとつ上の境地に押し上げられたように感じた」と、また「日本人の考え方が好き。日本人の他の人に対する尊敬の念をありがたく感じていて、日本の人との絆にしたくて『Teo Toriatte』を作った」というような内容の発言をしていました。
このスペシャル番組を通して、当時のさまざまなエピソードを通して改めてQUEENと日本との絆が強いことを感じられました。
番組内の選曲も素晴らしく、さらにどのバージョンをかけるのかまでこだわりが溢れていました。
「Prosession」で厳かに始まり、初来日一曲目に披露した「Now I’m Here」(流れたのは権利の関係で74年ロンドン公演Ver)、「In The Rap Of The Gods」、「Bohemian Rhapsody」~「Killer Queen」メドレーで70年代来日公演の観客気分に浸れます。
そしてファストバージョンの「We Will Rock You」、「We Are The Champion」はおそらくどちらもクレイジー・ツアー音源から。ライブバンドとしての魅力全開です!
ライブVerのパワー増し増し「Sting Power」(Hot Spaceツアー)、ピアノが印象的な「Save Me」(おそらくモントリオール音源?)と続き、「Rario Ga Ga」は、最後のネブワース公演というのがまた心憎い。
終盤は華やかでオリエンタルな雰囲気のモンセラート・カバリエさんとフレディの「La Japonese」、ラストは「Teo Toriatte」からの「God Save The Queen」で終了。
最初から最後まで、QUEEN愛にあふれた素晴らしいラジオ番組でした。
制作陣の中にきっと相当なファンが紛れているはずと私は想像しています。
第二弾も絶対あると期待しています!絶対にあるよね!