(※洋楽初心者リスナーが観たボブ・ディランという切り口で自分の浅い知識で感想を語ります)
しばらく前からYouTubeの予告編などで目にしていた「名もなき者」を鑑賞しました!アカデミー賞に多くノミネートしていながら無冠となったようですが、そんなことは全くお構いなしにインパクト大の心揺さぶられる好きな作品でした。なにより音楽がとても素晴らしかったです!主要キャストは演奏も吹き替えなしで演じていて、特に主役のティモシー・シャラメは数年かけてトレーニングしたというから凄いですね。
この作品ではデビュー前~1965年のニューポート・フォークフェスティバルまでの彼の歩みが描かれます。都会へギター一本で出てきた青年がその才能を見出されて大人気ミュージシャンとなるが、その活動の在り方に思い悩み突破口を探っていく…というストーリーです。
センセーショナルな事件が起こるわけではなく、純粋な芸術への愛、人間同士の心の摩擦が丁寧に描かれている作品です。背景には当時の緊迫感溢れる社会情勢や、芸術をよりどころとして結束しようとする民衆のムーブメントが描かれているのですがあくまでメインは個人的なボブ・ディランと彼をめぐる人々のお話と感じました。
年代や国を問わず普遍的な人間の心理を描いているので、登場人物に詳しくなくても全く問題ないと思いますが序盤から登場するウディ・ガスリーの名前と功績、そして「ダストボウル」については事前に知っておいてよかったです。
この作品は伝記映画ではありますが、ボブ・ディランがどんな人物なのかを分かりやすくひも解いていくわけではありません。
ボブとジョーン・バエズ、ボブとピート・シーガー、ボブとシルヴィ(最初の恋人)など登場人物との対比の中から観る側がヒントを拾いあげ、つなぎ合わせて像を浮かび上がらせていくひと手間が必要になります。
魅かれ合う男女同士でもほぼライバルに近い関係だったジョーン・バエズの存在からは、社会情勢も恋愛も曲のネタにしてしまう貪欲さやしたたかさ、観衆に対して一歩引いたようなやや冷めたスタンスが浮かび、父代わりのようなピート・シーガーやフォークフェスの運営メンバーの存在からは、類稀なる才能、若さ、ちょっとした傲慢さが浮かび上がってきます。しかし、生い立ちなどのパーソナルな面の開示は劇中でほぼされないまま物語は進みます。シルヴィとボブの間からは、どこかふわふわとした社会との関わり方や実家との遠い距離感が読み取れ、シルヴィが劇中で「恋人である私にだけは!」と願っても叶わなかったように、観ている側が彼の心の中を覗き見られるようなシーンはごくわずかです。
そして、ボブ・ディランと大衆(ファンやメディア)の対比です。これによって、彼が求めていたことをようやく少し理解できるような気がしました。この映画のタイトルは「Like a Rolling Stone」の歌詞から名付けられています。これは「人気フォーク歌手」とカテゴライズされたボブ・ディランがあくまで自身が「名もなき者」で在りたがっていたこと(俺を何かに当てはめないでくれ、定義しないでくれという思い)を表しているのではないでしょうか。
人たらしで音楽業界の先輩たちにも女性たちにも受け入れられるボブ・ディランですが、自分を型にはめられようとするとするりとすり抜け続けてどこかへ行ってしまう捉えどころのなさ。ティモシー・シャラメの細やかな演技でそのキャラクターに説得力がもたらされています。
序盤、ラジオでかかるロックミュージックも、ピート・シーガーの弾き語りステージもどれも心から楽しそうに聴いていたボブ・ディラン。単純にその時の自分にハマっていたから弾き語りで曲を作り演奏し、気分が変わったらエレキギターに持ち替えてバックバンドを付けて演奏しただけのことなのに、大衆が彼を「若手を代表するフォーク歌手」と定義したことでギャップが生じてしまった…というのがこの映画での描かれ方でした。彼は決して当時もフォーク音楽を古いものとしてネガティブには捉えていなかったものの、終盤のある人物のセリフで、「正しさ」を押し付けられたように感じたことがエレキギターによる演奏を強行させる引き金になったようにも思えました。
個人的に、なぜそんなにエレキギターによる演奏をフェス運営側のスタッフが避けたがったのか、という点がなかなか読み取れなかったので改めて考えてみました。
ロックと対比させるようにフォークミュージックが劇中のライブ場面に登場しますが、どの曲もシンプルな弾き語りで、観客とともに繰り返し同じフレーズを歌ったり全員で手拍子をして会場全体が一体となっています。
今でこそロックもフォークと同じように人々を結束させる力があることを私たちは知っていますが、当時はその可能性が未知だったゆえに、フォークのフェスティバルにエレキギターを持ち込むことを反対したのかもしれません。労働歌やフォークソングを観衆と同じ調子で手拍子とともにシンガロングすることこそが、あの当時のアメリカ社会において音楽で何かを訴える時の最良の方法だと考えられていた…と想像しました。
もっとも、結束しているといってもフェス主催者もファンも一枚岩ではない様子がしっかり描かれているのですが(フェス主催側の男女平等の意識にも個人差があったり、ボブ・ディランのエレキギター演奏に対しても喜ぶファンもいたり)。1960年代末にはフラワームーブメントと巨大ロックフェスの開催があると思うと本当に価値観の変化が大きい時代ですね。
物語の舞台が1960年代中盤ということもあり、登場人物のモデルには残念ながら亡くなった方も当然多くいらっしゃいます。ピート・シーガー、恋人役のシルヴィのモデルとなったスーズ・ロトロ(アーティスト)、ジョニー・キャッシュ。ボブ・ディランとジョーン・バエズが映画制作に協力的であったおかげで、今の日本でも60年前のアメリカの匂いを感じることができます。流れる曲やひとつひとつのセリフには過剰な演出がなく、登場する店の外観や車、テレビのニュース映像、衣類や人の肌など画面に映るものも質感がリアルで、本当に劇中の世界に没入できる作品でした。
最後に、ピート・シーガーの妻トシについて。
序盤から日本人らしき方が登場して驚きましたが、トシは実在の人物で日系アメリカ人なのだそうです。まだまだアジア系やアフリカ系人種に対する差別がはっきりと存在していた時代において、珍しいカップルだったのではないでしょうか。この作品では初音映莉子さんという女優さんが演じていらっしゃいます。きりっとした目の素敵な女優さんで、ボブ・ディランを厳しくも温かい目で家族のように見守る姿が印象的でした。特に序盤、シーガー夫妻の家でボブ・ディランが弾き語りを披露するシーンは彼女の存在が場面をより印象的なものにしていると感じました!
先進的なミュージシャンやアーティストの集団に囲まれていたこともあってか、ボブ・ディランの周辺には1960年代からさまざまな人種の方が居たんですね(劇中には黒人のガールフレンドも登場します。かつて婚姻関係にあったというキャロリン・デニスや交際歴のある女性をモデルにしたキャラクターかも)。
ほんの短い期間の活動を切り取った映画なのでディープなファンには物足りない部分もあるのかもしれませんが、初心者目線ではとても美しく心に沁みる映画と感じました!もしかして、三部作を企画しているというThe Beatles映画同様続編もあるのかもしれませんね。
Embed from Getty Images※ちなみにThe Beatlesとドノヴァンは人の会話の中にちらっと登場してました