まだまだoasisライブの夢から醒めたくない!!!!と、本格的なロスがやってきて絶賛現実逃避モード継続中のA子です。oasisの世界ツアーも残すは南米のみ。もうそろそろ来年の活動について発表がある頃でしょうか…。今回は世界を巻き込む一大ムーブメントとなったoasis再結成ツアーを振り返り、自分にとっていったいどんな影響があったのかという視点で語ります。
「この感じ知ってる」
oasisを聴き始めた頃によく頭に浮かんだのは、「国も時代も違うのに、なんか『知ってる』…」という感覚。徐々にそれは「oasisにかつての自分の姿を見いだした」からなのだと確信するようになりました。
世界を相手に中指を立ててたわけじゃなくても、「自分もかつては若さ由来の爆発的エネルギーを持っていた」というたしかな記憶。エネルギーを持て余して仲間と内輪でバカ騒ぎしたり好きなことを突き詰めようともがいていた姿が、なぜかoasisを聴いていると浮かんでくるようでした。平均的な存在であることが求められる閉鎖的な田舎町で、感性を死なせないようにサバイブしていた幼い自分と、バーネイジの街でひたすら音楽に救いを求めていたであろう70~80年代のノエルの閉塞感は共通しているんじゃないかとすら思って涙したり…。
若さからくる無敵感や尊大さにoasisらしさを最も感じるという意見もあるかもしれませんが、私にとっては若気の至りや幼さ故の無力感を振り返る時の痛み、苦みの表現もoasisらしさじゃないかなと感じています。
参加している感覚、普遍性
2020年、「Wonderwall」が90年代の楽曲として初めてSpotifyの再生回数10億回を突破。2025年11月現在では25億回を超えています。
東京ドームライブ前の10月20日はNHK「おはよう日本」で、さらにライブの翌日には「クローズアップ現代」でoasisが特集され、人種や性別、年代を問わず世界各地で熱狂するファンの映像が放送されました。写真家ジル・ファーマノフスキーさんは、リアムのカリスマ性やバンドが持つ反骨精神やシンプルなステージが人を惹きつけたことと同時に、いつも音楽への真摯な愛情がバンドにあったことをインタビュー中で指摘。兄弟仲やスキャンダルで好奇の眼を注がれても、音楽への情熱と楽曲の素晴らしさが圧倒的だったからこそ人気を集め続け、何年経とうが消えることがなかったのがoasisだと。そして、「バンドだけでなく観客が輝くのがoasisのライブ」だとも。
ネットやスマホの普及以降、ロックバンドのライブというものはピュアな音楽体験とは異なるものになってしまったとノエルが「オアシス:ライヴ・アット・ネブワース」劇中で嘆いていました。しかしこのツアーでは、地球の裏側の観客の熱狂をリアルタイムで感じたり、ポズナンの情報共有やライトを使った観客からのレスポンスなど、90年代当時とは違った意味で会場全体の一体感を作るのにネットが一役買った面もありました。また、ライブの回数を重ねるにつれパフォーマンスがまとまりを増す様子、時にはミスやトラブルがあったりする様子さえも共有され、「この熱狂の2025年、私はバンドと共に存在している!」と誰もが実感したはずです。
素晴らしい作品は時代も国境も超えるし、轟音とシンガロングの渦の中では自分と他人との境界線すらあいまいになります。ティーンエイジャーが反骨心に火を付けられ、リアルタイムで初来日を体験したファンが再燃する中、アラフォー主婦な自分はかつての青さやエネルギーの爆発を思い出す。あらゆる人が会場で一体になった理由は、ノエルが一貫して述べてきたこの曲作りの姿勢に集約されていると言えるでしょう。
俺の歌は 愛 喪失 悲しみ 天気 孤独 幸福 友情といった
NHK クローズアップ現代 2025年10月27日放送「オアシス再結成 なぜ彼らの歌は”刺さる”のか」
誰もが共感できる 普遍的なことを書いている
俺の歌じゃなくて「俺たち」の歌なんだ
―ノエル・ギャラガー(2023年インタビュー音声より)