今回は10年前の映画を通して40年前のUKを知る、という時代に逆行した内容となっております。2015年の作品「パレードへようこそ(原題:PRIDE)」。カウンターカルチャーを軸にUKの歴史・政治への理解を深めるきっかけとなるすばらしい映画でした!今回はこの映画の感想をまとめます。
あらすじをFilmarksサイトから引用します。
英国サッチャー政権下、境遇の違う人々をつないだ深い友情と感動の物語。不況と闘うウェールズの炭坑労働者に手を差しのべたのは、ロンドンのきらびやかなLGSMの若者たちだった! すべては、ロンドンに住む一人の青年のシンプルなアイデアから始まった。炭坑労働者たちのストライキに心を動かされ、彼らとその家族を支援するために、仲間たちと募金活動を始めたのだ。しかし、彼らが実はゲイの活動家(LGSM)だと知ると、寄付の申し出はことごとく断られてしまう。そこへ、勘違いから、唯一受け入れてくれる炭坑が現れる!彼らは、ミニバスに乗ってウェールズ奥地の炭坑町へと向かうが…。
パレードへようこそ – 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画
洋楽ロックを改めて好きになって以降、ある音楽シーンが生まれた背景やミュージシャンの生い立ちのストーリーに触れるたび、私は自分の無知に危機感を覚えていました。それぞれ、必ずと言っていいほど社会問題と密接に関わっていることを初めて知ったからです。特にこの映画の重要な背景となっている「サッチャリズム」やUKの重工業については全くと言っていいほど知りませんでした。
この映画も、自分が好きになった音楽に対する理解を深めたいという思いで手に取った作品でしたが、予想よりももっとずっと魅力的でとても好きな一本になりました!
「私が思うこの作品の魅力」はこんな感じです。
音楽が強める人々の連帯
この映画の中で若者たちが集うロンドンの場面では、当時流行していたポストパンク、ニューウェイブ音楽、ゲイカルチャーの発信地でもあるクラブの熱気が色濃く漂います。その一方でウェールズの炭鉱町オンルウィン(英表記Onllwyn)では人々の集いで合唱が響き渡ります。形は違えど、人々の気持ちを高揚させ結束を高める重要なキーとして音楽が作品全体を貫いていると感じました。ウェールズは1700年代以前から固有の文化が特にUKの中では際立っていて、詩や音楽が生活に根付いている国です。特に炭鉱地帯では合唱やバラッドの出版がさかんであったそうです(参考:「イギリス文化事典」丸善出版 H26)。その辺りの背景もしっかり実際の生活と絡めて描かれています。
鑑賞後にサントラをチェックしたらなんと大好きな「ブレイク・フリー」も入っていて、どこで流れた!?とパニックでした。気づかなかった私の耳の悪さ…!
それぞれが持てる力を出し合い助け合うことの美しさ
個人的な映画の好みなんですが、こういった群像劇的ストーリーで主人公とその周囲の人物たちが物語を通して良くも悪くも影響し合って殻を破っていく展開が大好きなのです。この映画でも、それぞれ自分が持っている知識や行動力、積極性、我慢強さやコミュニティにおける発言力を最大限に発揮して意図したかどうかに関わらず互いを助け合う姿に力が湧きました。実際に行動を起こして誰かを助けることもそうだし、一緒にやってみようと声を大にして呼びかけることもそう。そしてそっと「肘でつつく」くらいに行動を後押ししてあげたり、隣で寄り添うことによる支え合いも同じくらい美しく心を動かされました。
人間、コミュニティ、国の持つ多面性の描写
特にこの映画では、「はっきりした悪人」は登場しません。マイノリティや社会的弱者とされる人物も各々心の中にずるさや葛藤があり、彼らが作るコミュニティも一枚岩ではなく小さな分断が起きます。悪人もいない代わりに、全くの善人も登場しないのがさらに説得力を増しているのではないでしょうか。
宗教的な背景や異なるルーツを持つ人々が集まり、階級で区別される前提で暮らすUKという国が持つ二面性もさりげなく細やかに描かれていました。上品そうな老婦人がゲイの若者のデモ行進に対して静かにアピールする悪意を最大に込めた辛辣なメッセージ。あるいは、閉鎖的な男社会で静かに秘密を抱きながらひとり老いていく労働者の心の動きに、そういったこの国の特徴がちらちらと表れていると感じました。
ちょっと脱線しますが映画を観て思い出したこと、改めて考えたことも。
・女性たちとゲイ男性のやりとり(漫画「リバーズ・エッジ」と比較)
主婦がゲイ男性に「ある質問」をする印象的なシーンがあるのですが、このシーンから私は90年代の岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」の一場面を思い出しました。
この映画で登場するウェールズの炭鉱町の主婦たちのうち数人は、ゲイ男性に対して批判するより面白そう!といったスタンスでグイグイと突っ込んでコミュニケーションをとっていきます。でもそこには「生活者目線、母/妻目線」というフィルターがあるように感じ、人と人とのコミュニケーションで守るべき線を無意識に当然のものとして守っている印象があります。
しかし「リバーズ~」の主人公ハルナは、まだ17歳頃の子どもで自分が人を傷つける力があるという自覚もまだ曖昧で、自分が何にも属していない、属したくないような過ごし方をしているように見えます。だから無神経に友人になったゲイの青年・山田に不躾な質問(具体的な性的嗜好など)をし、彼の怒りを買います。この漫画が発表された当時は「ニューハーフ」だとかそういう表現でテレビ番組などでゲイカルチャーが消費され始めていたような記憶もありますし、山田はそういった興味本位の質問に反発を覚えて率直な怒りを表したのかもしれません。
マドンナの周辺で彼女のクリエイティビティを支えたとされるゲイの友人たちや数々のミュージシャンなど、芸能や創造の面でどんどん表に出ていき際立った成果を出す方も多いですが、そうではない方も当然たくさんいますよね。メタ視点ロマコメ作品として過去に観て面白かった「ロマンティックじゃない?」という映画があるのですが主人公に都合良く働いてくれる謎の職業のゲイの友人の描写を遠回しに批判するシーンが挿入されています。
この映画では、性的嗜好にかかわらず登場人物は生活者同士としての手触りのある血の通ったやりとりをしていて、図々しく感じるコミュニケーションも実際に生きている者同士なんだな、と自然に受け入れられました。
・カズオ・イシグロ氏のインタビューより
最近NHKで放送されていたインタビュー記事の抜粋のリンクです。
この映画にも通じるところがあるのではないかなと感じました。
異なる文化、一生心から受け入れられない文化を持つもの同士でも、争いではないやりとりができるんだということは忘れないでいたいです。
「宗教や社会が違っても、私たちは互いに感情を共有するべきなのです。同じ価値観を持つ必要はありません。意見が違っていてもかまわない。でも、もし世界中で同じ『ミッション:インポッシブル』を見ていたり、村上春樹さんの最新作を読んでいたりすればーー少なくとも同じ会話ができるのです。同じ話題について議論し、異なる意見をぶつけ合うことができる。これはとても大切なことです。私たちは皆『同じ会話』の参加者であることが重要なのです。文学、芸術、文化というものは、人々が出会い、交わるためのすばらしい場です。たとえそこで意見がぶつかり、議論になったとしても、それこそが本当の意味での『出会い』なのだと思います」
ちょっと難航している「UKロックと父性」についての自由研究ですが、この映画で間接的に80年代UKの社会の雰囲気をうかがい知ることができたので後日この映画からも引用して考えてみようと思います。